「盲腸(虫垂)」はなぜ残されたのか? 崎谷博征医師

長い間、痕跡器官として扱われ、
その働きがわからずにいとも簡単に切除されて
きた「虫垂」と「脾臓」。
近年それぞれの重要な働きが解明されて、
以前のような取り扱い方は大きく減少した
のではないでしょうか。
今日は医師の崎谷博征さんが、
「盲腸(虫垂)」はなぜ残されたのか?
と題して、虫垂の働きを解説してくれています
ので、Tetsuya Tsujiさんのブログから
一部編集転載してご紹介致します。
よろしければ、過去記事
『腸内細菌のバランスを保つ「虫垂」を取ってはダメ』 2024.4.2
『「ゴボウ絞り汁」の虫垂炎・デトックスj他への素晴らしい効果』 2024.4.5
なども参考にしていただけましたら幸いです。
—————————
「盲腸(虫垂)」はなぜ残されたのか?
ドクター崎谷のリアルサイエンス
2026年5月7日 21:47
―切っても生きられるのに、
体が手放さなかった「小さな避難港」の正体―
長いあいだ、虫垂は「なくても困らない器官」、
あるいは「進化の置き土産」のように語られて
きました。
それをいいことに、盲腸に炎症が起こると
すぐに切除する風潮が生まれました。
しかし、最近の研究をたどっていくと、
その見方はずいぶん古くなってきています。
虫垂は、ただぶら下がっているだけの飾りではなく、
腸が大きく乱れたときに備える「非常用の避難港」
のような働きをしている可能性が高いのです[1][2][3]。
この考え方の土台になったのが、
2007年の理論的研究です。
この論文では、虫垂は共生細菌の「safe house」、
つまり安全な隠れ家として機能しうると
提案されました[1]。
その後、2016年のレビュー論文では、
虫垂には豊富なリンパ組織とバイオフィルムが存在し、
腸全体にとって利益をもたらす可能性があるため、
「痕跡器官」という理解は見直すべきだと
論じられています[2]。
さらに、虫垂は免疫の面ではある程度代替がきく
一方で、腸内細菌の貯蔵庫としては独自性をもつ
可能性が示されました[4]。
そして、虫垂は感染、抗菌薬、炎症などで乱れた
腸内環境を立て直す際の「微生物の保護区」として
再評価されています[3][5]。
ただし、ここで誤解してはいけないのは、
虫垂の役割を「善玉菌を無制限に増やすための装置」
と単純化しないことです。
健康の中心にあるのは、
腸内細菌の量そのものではなく、
腸粘膜が壊れず、
過剰な発酵や内毒素(エンドトキシン)負荷に傾かず、
全身の基礎代謝が安定していることです。
腸は、細菌を増やせば増やすほどよい牧場ではありません。
むしろ、増えすぎれば炎症や粘膜障害を招きうる、
きわめて繊細な国境地帯です。

その意味で虫垂は、細菌を増殖させる工場というより、
秩序が崩れたときの被害を最小限にする「緩衝地帯」
あるいは「避難港」として理解したほうが自然です。
虫垂は、ただ細菌をためておく倉庫ではなく、
腸粘膜防御に一役かっているのです[4][6][7]。
では、もしそんな役割があるのなら、
なぜ虫垂を切除しても多くの人は普通に暮らして
いけるのでしょうか。
ここが面白いところで、
人体は一つの部品だけに全機能を依存するような
単純な機械ではありません。
重要な機能ほど、
予備回路や代替ルートがいくつも用意されています。
それでも、「取っても完全に影響がない」と言い切る
のは早すぎます。
2021年の研究では、
虫垂切除を受けた人では腸内の細菌叢だけでなく
真菌叢にも長期的な変化がみられ、
とくに真菌側の変化は5年以上たっても残る
可能性が示されました[9]。
腸管洗浄と大腸内視鏡という腸内環境を揺さぶる
出来事のあと、虫垂のない人のほうが腸内細菌叢の
変化が大きく、回復のしかたにも差が出る可能性が
示されています[10]。
つまり虫垂は、
平時には沈黙していても、「腸が荒れた非常時」に
存在感を増す器官といえるでしょう。
さらに進化の観点から見ても、
虫垂を「ただの失敗作」と呼ぶのは無理があります。
2009年の比較解剖学研究では、
哺乳類の虫垂は少なくとも複数回、独立に進化した
ことが示されました[11]。
2023年のレビュー論文でも、
虫垂は偶然残った余計な部品ではなく、
哺乳類進化のなかで繰り返し現れてきた、
適応上の利点をもつ構造である可能性が
論じられています[12]。
もし本当に完全な無意味器官なら、
これほど何度も、しかも長い進化の時間を超えて
保存される説明が難しくなります。
進化は、いらなくなったものを必ず捨てる
掃除屋ではありません。
古い道具を削って、
別の用途に作り替える職人のようなものです。
虫垂もまた、昔の消化器の名残を、
現代の腸免疫と微生物制御に合わせて再配置した
「転用の産物」と考えるほうが自然でしょう[11][12]。
結局のところ、
「人間にはなぜ虫垂があるのか」という問いへの答えは、
「何の役にも立たないから残っている」ではありません。
より正確に言えば、
虫垂は、ふだんは目立たないけれど、
腸内環境が大きく崩れたときに、
粘膜免疫と微生物環境の立て直しを助ける、
控えめで、しかし意味のある保険役です。
舞台の主役ではないけれど、
照明が落ちたときにだけ働く裏方スタッフのように、
虫垂は人間の体のバランスを静かに支えているのです。
虫垂炎でむやみに切除することは
長期的に腸内環境にとってマイナスとなるでしょう。
参考文献
[1] Biofilms in the large bowel suggest an apparent function of the human vermiform appendix. J Theor Biol 2007, 249, 826-831.
[2] The immunology of the vermiform appendix: a review of the literature. Clin Exp Immunol 2016, 186, 1-9.
[3] The functional landscape of the appendix microbiome under conditions of health and disease. Gut Pathog 2025, 17, 38.
[4] The immunological functions of the Appendix: An example of redundancy? Semin Immunol 2018, 36, 31-44.
[5] Exploring the Immunological Role of the Microbial Composition of the Appendix and the Associated Risks of Appendectomies. J Pers Med 2025, 15, 112.
[6] Generation of colonic IgA-secreting cells in the caecal patch. Nat Commun 2014, 5, 3704.
[7] The appendix-mucosal immunity and tolerance in the gut: consequences for the syndromes of appendicitis and its epidemiology. ANZ J Surg 2022, 92, 653-660.
[8] The cecal appendix: one more immune component with a function disturbed by post-industrial culture. Anat Rec (Hoboken) 2011, 294, 567-579.
[9] Appendectomy Is Associated With Alteration of Human Gut Bacterial and Fungal Communities. Front Microbiol 2021, 12, 724980.
[10] Prior Appendicectomy and Gut Microbiota Re-Establishment in Adults after Bowel Preparation and Colonoscopy. Biomedicines 2024, 12, 1938.
[11] Comparative anatomy and phylogenetic distribution of the mammalian cecal appendix. J Evol Biol 2009, 22, 1984-1999.
[12] A review of the function and evolution of the cecal appendix. Anat Rec (Hoboken) 2023, 306, 972-982.
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