発酵水は、母なる海の恵みの日本在来の天然海藻(緑藻類・褐藻類・紅藻類)
およそ30種類を独自製法で長期自然発酵させて、手づくりで原液づくりをしている発酵飲料です。

人間を元気にも病気にもする「気」とは何か






今日は「氣」のお話です。
私は病気や元気にかかわる仕事をしています。

私共が醸造している「発酵水」は、天・海・地の普遍のエネルギー(氣)と悠久の時間(氣)により発酵して創られた「海藻腐植化原料」で造っています。
この海藻腐植化原料は醸造家たちが束になってかかっても創ることができない、まさに天・海・地からの氣の贈り物で、人間には到底つくることができないものです。

その氣が凝縮した原料からつくられた発酵水は、氣水と呼んでも良いのかもしれません。

最近また私は、病気を治してはいけないと思うようになってきました。
その訳は、病気は自分自身で治すものだからです。

昔、氣功家で有名な中川さんが亡くなる前に「病気は治してはいけない」と言われました。
中川さんは短命で亡くなりましたが、とても真理をついていて深い言葉だと思いました。

病気は読んで字のごとく気の病です。
そして、その気の病から生き方や考え方や食などの間違いや誤りの気づきを得て、本来の気に正すことではないかと思います。

それを池口恵観さんが教えてくれているように感じました。
それでは、JBpressさんの記事『人間を元気にも病気にもする「気」とは何か』を、下記のアドレスからご覧になり、参考にされてください。

人間を元気にも病気にもする「気」とは何か
道教、密教、修験道に底通する「気」の概念を詳解
JBpress 2022.9.29(木)
池口 恵観
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72027


修験とは、修行により験徳をあらわすという意味があり、山中で修行することで神秘的な力である験力が得られると信じられている

人類が文字を使用したと確認される最古のものはメソポタミアで、5500年前にシュメール人による楔形文字や、ナイル川流域の古代エジプト人による5000年前象形文字がある。

4600年前インダス文明が栄えたハラッパーやモヘンジョダロなどの中心都市で使われた象形文字インダス印章文字もあるが、それらは現在使われてはいない。

しかし、漢字は3500年前から中国で使用され続け、現代でも中国、日本で使われている。

最古の部首別漢字字典である『説文解字(せつもんがいじ)』は漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを解説し、字の本義を記したもので1世紀中国で編纂されたものである。

それには「气」とは雲の漂う様をあらわしているとあり、気が漂い立ちこめる様子をあらわしている。

気とは、もともと思想や道教、中医学の用語である。

気は眼で診ることができず、流動的で運動し、不思議な作用を起こす。

気運、人気、気配、生気、勇気、大気、気象、蒸気、電気・・・ちまたには気という言葉があふれている。

古代人は、万物はすべて「気」そのものであり、天や地の気など目に見えないものから物理的な形状となって現れるものも「気」と捉えていた。

風や雲、雨といった気象を生じさせるのを外気というが、天や地の気も人の気もすべて異なるものではない。

『荘子』外篇では「天下を通じて一気のみ」と同一のものだと考えられていたのである。

雲は大気の凝結であり、風は大気の流動。

一方、人間は息をすることで生きている実感が湧く。
そのため、大気を吸い込み身体内に充満させ、循環させることで人間の身体を内側から満たし、賦活する生命力としての勢力や元気を与えている。

もしくは人間を活かしているものが気息であるという考えが生まれる。

それは小宇宙である人の身体の呼吸と自然気象である大気、つまり息は大気とは連続的なものであるから、気象などの自然の流動と関係付けられ、その原理であると考えられた。

気は心理作用や生理作用といった心と身体を結んでいる生命体の元始であり、また網状組織である。

また、大気は自然の流動である気象だけでなく、あらゆる自然現象も、一つの気の流動で、離合集散によって気は凝固して可視的な物質となる。

それは万物を構成する要素とされる根源的なもので、自然全体が気による秩序で成立しているという考え方である。

この世に存在するすべてのものは、形を表わしていない気の働きにより物質的な存在となり、私たちをそのあるがままの姿に立ち返らせるよう働いているというのだ。

太古より賢者は、この世界に形を表わしていない「幽」と、姿が形成された状態の「明」を観察することで、天文、地理をといった森羅万象を知ることができると『周易正義』に記されている。

■修験道に底通する道教と密教
古代で天文といえば占星術を指していた。天体の動きは地上の様々な出来事に関係しているとされる。

なぜ、星の運行が地上の出来事に関連しているのかといえば、星は気が変形して凝固したものだと考えられたためである。

そのため天体の異変は天変地異や疫病などの災害、人間界の政治や戦争などと深くかかわり、山川草木も天の異変に連鎖的に反応するとされる。

4世紀に星座が体系化され、中国前漢時代の歴史家・司馬遷は、それを集成して『史記』「天官書」を記した。

それは天人相関説に基づいて天体だけでなく、雲の形状や動きも、戦争や干ばつなど、地上の異変の前兆とされて観察されたものである。

地も気の流れる通り道としての地脈・龍脈に基づくもので、風水は地理の占いである。

いまも台湾や香港の人は家を建てたり、土地を買ったりする時には、専門家に地の気を見てもらう風習がある。

昔の中国人は聖書に書かれているような創造神によって世界が生まれたという考えはない。

この世界、そしてあらゆるものは気の働きによって生じ、絶えざる変化と運動の果て、時期が来ると消滅し、その活動は循環すると認識された。

そうした考えは中国だけでなく日本やアジア人の思考にも影響している。

■道教と底通する修験道
唐の時代、初期の道教は、不老不死で神通力をもつ神仙となろうとして、巫術や道術による治病や攘災(じょうさい)に重点を置いたが、密教と競合しながら影響を受けることになる。

やがて道教は密教を呑み込むのだが、その神仙思想から自律的な力を発揮する養生術が生まれた。

人体に流れる気への着目により自分で自分の病気を治したり、他者を治したりするもので密教の加持と共通する側面もある。
こうした治癒の手法が近代中国では宗教色を廃し、気功となった。

道教は宗教的な呪力を民衆の立場から究めようとするところにある。
それは迷信、魑魅魍魎、鬼神信仰も含まれる。

神仙になるためには修行や服薬の法がある。
一方、仙人と交感するための方法を「神仙方術」、医療としての方法を「医方術」という。

日本に宗教として道教は伝来していない。だが、密教は修験道に底通し、修験道は道教に通じている。

神仙術に関する諸説を集大成した『抱朴子』をはじめとする『太平経』『上清経』『霊宝経』など数種の道教経典も符、神図など多種多様のものも思想や技術をあらわすものとして伝えられたが、その影響はのちに密教と重なり、日本固有の山岳信仰と結合して「修験道(しゅげんどう)」が生まれた。

日本人は古来より山に神々が宿ると信じ、山自体をご神体として拝んできた。

修験とは、修行により験徳をあらわすという意味があり、山中で修行することで神秘的な力である験力が得られると人々は山で修練を繰り返す。

修験道とはそうした山岳宗教や古神道に仏教伝来以前の8世紀からみられた日本土着の信仰と密教・道教・陰陽道・神道・仙道・鬼道・蠱道・儒教等など、さまざまな要素が融合して成立した日本古来の宗教である。

修験道の実践は山に伏して修行することから山伏と呼ばれる。
また「修行して迷妄を払い、験徳を得る。修行して、その徳を驗(あら)わす」ことから験を修めた者という意味から修験者ともいう。

彼らは日本各地の霊山を修行の場とし、諸山を歴訪しながら深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うため客僧ともいわれる。

■身体におさまる気、巡る気の作用
気と念というのは物理の世界では考えられない作用を及ぼすこともある。
だが、東洋の考え方では、気は身体と切り離されたものではない。

古代中国では、天の現象は人間に影響を及ぼすと考えられており、それを天人相関という。

人間は気によって形づくられるが、この霊的な生命力として捉えられたのが気息であり、それは変化流動するもので、生命力の原点であるのみならず、普遍的な媒質と考えられた。

内なる気は主として経路といわれる回路を通じて体内を流れている。
この体内を流れている気と外の気は同一と捉えられている。

気功は、気の流れが通じにくくなった経絡を開通させて病気を改善させ、患者自身が体内の気の流れを良くし調整する働きがある。

人間の体内には気の循環経路である14本の経脈があり、それは風水でいう龍脈のように気の道筋として体内を流れており、人体の中の気や血や水などといった生きるために必要なもの通り道と考えられている。

この14本の経脈は心臓、肺、胃、大腸に繋がるものとさらに細分化された絡脈があり、全身にその流れが張り巡らされている。

中国医学では患者の顔を見て診断する、これを望診という。

顔に身体の様子が投影されているという考えのもと、気の状態を見るもので経脈のある部分に問題があれば、その部位のみの異常ではなく、部分と全体は一体で互いに感応し合っているため、顔や一部の部位を診ることで、全体を把握できるという。

「気が集まれば即ち生、気が散ずれば即ち死」という考え方は、身体は気が凝縮したもののため、ある時期になって気の塊が散り散りとなり肉体は崩壊するというものである。

生命はすべて一時の仮の姿で、気はその源へと還った状態が死と捉えられている。

気は途切れるものではなく分割できるものでもない。

また、時空を超えて存在し、運動しながら変化し、消耗したり充填したりでき、その範囲は無限かつ普遍的であると考えられている。

気は宗気(そうき)、営気(栄気)、衛気(えき)、原気(元気)、真気(正気)と5種に分類され、人体を維持する基本的な働きがあるという。

宗気は肺に後天の精と天の気が交わって胸中に集まる気で、五臓の心と肺に深く関連し心拍や呼吸に作用する。

宗気が低下すれば呼吸の異常が生じ、心の拍動が弱まり、規律性を失う。

営気(栄気)は後天の精から得られる陰性の気で津液を血に変化させて、血とともに脈中を走り、臓腑や手足などの内外諸器官に栄養を送り、その活動を支える。

衛気は後天の精から得られる陽性の気で、脈外を素早く循り、体温保持、皮膚の収縮と弛緩、外邪に対する防衛的な働きをする。

原気(元気)はみぞおちより上方の上焦、上焦と下焦の間の中焦、へそより下の下焦の三焦の働きにより経絡を介し全身を循り、臓腑・器官・組織に活力を与える。

原気が正常なら体内の臓腑・器官も力強く働く活気があり、疾病にもかかりにくい。
原気が低下すると、臓腑・器官も弱くなり、疲れやすく、疾病にかかりやすい。

真気は、先天の気と後天の気からなり、人体の正常な活動を支える。

気が不足することを気虚。気が停滞することを気滞といい、不足したり、滞ったりすれば身体に異変が生じる。

推動作用は原気、宗気、営気、衛気、臓腑の気などすべてに備わり、成長・発育、生理的活動および新陳代謝をする働きがある。

歩く、手を上げる、話すなどの動作は気の推動作用による。

血液が全身を循環するのも、汗、尿、便などを出させるのも、気の推動作用によるもので、推動作用が低下すると内臓の働きが弱まり血液の循環が上手くいかないなどの症状が現れる。

温煦(おんく)作用とは体温を維持するもので、臓腑・器官などの一切の組織を温め、衛気・原気・腎気と関係が深い。

温煦作用が低下すると、手足の冷えや尿が薄くて量が多いなどの症状が出る。

防衛作用とは体表において、外邪(病原菌やウイルス)の侵入を防ぐ働きがあり、衛気と関係が深い。

防衛作用が低下すると風邪を引きやすくなったり、炎症が起きたり熱が出たりなどの症状が出る。

固摂(こせつ)作用は過剰な血・津液・精液などをつなぎ留め、血が脈外にもれないようにしたり、汗や尿がむやみに漏れ出るのを防いだりする。

固摂作用が低下すると内蔵の位置が不安定になり、尿漏れなどの症状が出る。

営養作用は栄養に関わるもので、その機能が下がると、すぐ疲れたり、やつれたりするなどの症状が出る。

気化作用とは精が気に、気が津液や血に変化し、津液が汗や尿になって体外へ排泄する働きがある。

気化作用が下がると浮腫み、汗をかかないなどの症状が出る。

臓気は五臓におさまりながら、経絡の活動を支え、経気は全身の経絡を循り、経絡の活動を支えている。

胃気は胃の働きによって得られた後天の気で胃を働かせる。

こうした気の作用は眼で確認することも物理的にその存在を証明することもできない。

しかし、形を表わしていない「幽」と、姿が形成された状態の「明」を観察することで、その存在や働きを知ることは可能である。

■物事を観る5つの力の段階
密教では、目に見える世界は目に見えない世界の氷山の一角に過ぎず、表に現われていない世界、目に見えない世界が、物質世界の本質と捉えている。

古来より物事を観る力を「五眼」と五つの見方であらわした。

「肉眼(にくげん)」「天眼(てんげん)」「慧眼(えげん)」「法眼(ほうげん)」「仏眼(ふつげん)」である。

「肉眼」「天眼」とは生きとし生けるものの境界の中で、ものを見る力であり「慧眼」「法眼」「仏眼」は万物や宇宙の「法」といったものを捉える眼力である。

「肉眼」とは、色や形、大きさなど人智の中でも簡単に単純に見える領域であり、天眼とは肉眼のみでは解らない因縁を知ることをいう。

「慧眼」とは、その万物のすべては変化転遷しながら相互依存で成り立っていることが洞察でき、そのすべてが対等であることを理解する力を指す。

「法眼」とは、すべての現象が縁起から生ずる力は何のために働くのか、その源泉を見極める視域で、「仏眼」とは、天地の運行、万物の始終など、広角的に宇宙の様相を理解するもので、森羅万象の一切の事象と理念に通じた覚りし眼力をいう。

身体の内部に潜む気の状態、身体を流れる気の様子を把握し、自分で自分の病気を治したり、他者を治したりする・・・密教で古来よる伝わる加持祈祷を修するには肉眼のみでは解らない領域、人の体内器官や組織傾倒を構成する多様な細胞に通じるという感覚が重んじられる。

人の身体は部分と全体は一体で、互いに感応し合いながら、複雑な振動周波数を発し、ほかの細胞との間で細胞レベルの共鳴ないし共振をしている。

その共鳴や共振のリズムが乱れると人の身体は不調になる。

密教の祈祷の小法立の修法・お加持は、健康を損った祈願者の本来のリズムを整えて改善を促すものである。

弘法大師空海は『三教指帰(さんごうしいき)』の中巻「虚亡隠士論(きょぼういんしろん)」では虚亡隠士が薬物や、呼吸法、符術、煉丹といった神仙術の効能についても記しており、空海は道教にも深く精通していたことがうかがえる。
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