発酵水は、母なる海の恵みの日本在来の天然海藻(緑藻類・褐藻類・紅藻類)
およそ30種類を独自製法で長期自然発酵させて、手づくりで原液づくりをしている発酵飲料です。

「ひえ」は大切な備えの食糧



秘境といわれる九州の椎葉村で日本でただ一軒だけ、縄文時代の5500年前から続く焼畑農業を営んでいる椎葉クニ子さん。
その暮らしぶりが話題になって、以前NHKでも放映されたそうです。
(※私はTVを持たない、見ないので悪しからず)

今日、椎葉クニ子さんの山の暮らしをご紹介しますのは、私がずっと粟(あわ)・稗(ひえ)・黍(きび)などの雑穀をつくって自給自足をしたいと思っていることと、今も続くコロナ禍の影響で少なからずこれから食糧危機が訪れる可能性があるかもしれないと考えているからです。

もちろん、そんなことが起きないのに越したことはないのですが。
やはり、色々な面で大きな時代の変革を感じずにはいられません。

私たちが生きていくために何よりも大切な食、そう考えたときに、それをいつまでも人任せにしておいてもいいのか、せめて自分が食べる分ぐらいは自分で確保すべきなのではないか、と考えるのは私だけでしょうか。

そういう食に対する基本や原則のようなことを教えてくれているのが、椎葉クニ子さんです。
今日ご紹介するお話は、私たちのこれからの食について、とても示唆に富んでいると思います。

『クニ子おばばと山の暮らし』椎葉クニ子 WEVE出版

雑穀が体を強くする

「魚や肉はあんまり食べんね。雑穀ばっかりのごはんのおかげで、
何も苦労せず健康でいられる。」

ばばが89歳になっても、元気に山菜を採ったり、山を歩いたりできるのは、雑穀ごはんのおかげかもしれないね。

振り返ってみると、私たちが米ばっかりのごはんを食べることは、お盆とお正月以外、ほとんどありませんでした。
とくに子育て中は、食べ盛りの子どもたちのお腹を満たすため、米と一緒に炊くと増えて腹持ちがいい「ひえがゆ」が多かった。

ひえがゆは鍋に米とひえ、水を入れ、しゃもじでぐるぐると混ぜ、沸騰させてしばらくしたら、水分をいくらか捨てて、火を止めて蓋をして蒸してつくります。
上澄みの水は捨てずに、栄養があるので、馬や牛にあげることもありました。

その他にもひき割りのトウモロコシや麦、粟(あわ)などを入れて炊き、まさに雑穀がばばたちの主食でした。

昔は白米だけのごはんが贅沢品で、雑穀は格が落ちるように思われていたけれど、今ではすっかり健康食としてもてはやされています。

知らず知らずのうちに子どもの頃から食べていた雑穀が、ばばの体を強くしてくれたのかもしれないね。

ばばの食事は特別なものはなんにもなくて、雑穀ごはんと煮ものと漬物ぐらいです。
野菜類が好物で、今でもうちで栽培している野菜はすべて無農薬です。
息子の嫁のミチヨが親戚から堆肥をもらって、手間をかけて育ててくれています。

肉と魚はあまり好きではなくて、このあたりでは鹿やイノシシが食卓に出ることがあるけれど、ばばは時々しか口にしなかった。

昔は大食いのクニ子と言われて、食べる量も多かったですが、最近は、朝と晩の2回で充分。

96歳まで長生きしたお父さんも、ごま塩をかけたひえごはんしか食べず、「栄養失調にならんもんかな」と心配しましたが、食が細いほうが寿命が長いんだろうかと思ったりもします。

「ひえ」は大切な備えの食糧

「大きな災害によって、食べ物が行き渡らないことがあっても、
ひえさえあれば、なんとか世渡りできる」


ばばの生まれは大正13年。
それはもう激動の時代を生きてきました。
昭和16年に大東亜戦争が始まり、昭和20年に終戦を迎えた頃には、日本国中が食うもの、着るものがまったくなくて、国民全体が途方に暮れていました。

当時、ばばは21歳で実家暮らし。
椎葉村ではそこかしこで焼畑をしていましたから、どの家もひえ、あわといった雑穀をつくっていたので、なんとか食いつないでいくことができました。

たとえお金を持っていたって、店に行けども買えるものがまったくないので、自分たちでつくるしかありません。

あるとき、大分県からお医者さんがわざわざ山奥の椎葉にまできて、地主さんに土地を借りて、人を頼んで焼畑をしていました。
戦争のあとさきは焼畑をしないと、みんなが生きていけなかったのです。

焼畑でできる雑穀のなかでも、「ひえ」は100年でも何年でも持つため、備えの食糧として重宝しました。

山が多い土地柄、田んぼは山の湧水でつくるのだけれど、ホースなんてない時代は、雨が少ないと水が足らなくなってしまう。
うちでも5反の田んぼで15俵のコメしかとれないことがありました。

椎葉では、飢饉に備えてひえ専用の倉があって、伝統的にひえなどの雑穀を大切にしていたおかげで、飢えることなく暮らしていけたのです。

ばばに家の倉にも、今でもひえが保存してありますよ。
平和で便利な世の中になったといっても、これから何が起こるかわかりません。
大きな災害によって、食べ物が行き渡らないことがあっても、ひえさえあれば、なんとか世渡りできます。


粒は小さいけど、雑炊やおかゆのようにすると、増えてお腹をふくらませてくれる頼りになる穀物なんです。

昔は冬の時季、正月の前までに「ひえこうかし」といって、1年分のひえを脱穀するために乾燥させます。
竹で編んだ籠に殻がついたままのひえを均等において、下から火にかけていく。

燃料は樫の木やシロモジなど、ちょうどいい太さの材木を使います。
炎が高くのぼる気は他に燃え移ったりして危ないので、燃料選びは慎重にしないといけません。
木が足らなくなったからといって他の材木を使い、ボヤ騒ぎになっていた家もありましたよ。

茹でるやり方もありますが、火を使ったほうがひえの香りが残っておいしいのです。
火にかけたあとは、ゴミなどを取り除き、シートに広げる、などの細かな手作業を繰り返して、乾燥させます。

「ひえこうかし」をしておけば、籾(もみ)は100年でも200年でも保存できます。
ただし、食べるためには、「ひえ搗(つ)き」をして殻をとらないといけないので、昔は唐臼を使い、多いときは5人がかりで搗(つ)いたものです。

1年分のひえを搗くわけですから、そりゃあ大変でした。
椎葉では「ひえ搗き節」という民謡がよく知られているけれども、昔は唄いながら局の調子に合わせて搗いていたんだろうね。 

今は脱穀機を使うようになったから、ずいぶんと楽になしました。
機械もなんもない時代から、どれだけ手間がかかっても、食べ物を切らさないようにする備えは、欠かさず続けてきました。

これから先も、ひえ倉が空っぽになることはないでしょうね。
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